【猫編】第3回:怖い・猫の感染症(2)
猫免疫不全ウイルス感染症
猫免疫不全ウイルス感染症、いわゆる猫エイズは猫免疫不全ウイルス(FIV)の感染によって起こります。
FIVは人のエイズウイルス(HIV)の仲間ですが、人に感染することはありません。FIVは唾液や血液中に存在し、猫同士で咬みあった時の傷から感染します。
また、FIVに感染した親猫が妊娠や出産時に子猫にFIVを感染させてしまうという報告もあります。国内の猫の約10%がFIVに感染していると言われています。
猫エイズは次のような段階を経て発症します。まずFIVの感染数週後に発熱や食欲不振、リンパの腫れなどの症状が現れます(急性期)。
さらに数週間経過すると回復し、症状が見られなくなる無症候期に入っていきます。しかし数年後、一部の猫はエイズ関連症候群期(ARC期)を経て、日和見感染症や腫瘍などに侵されるエイズ期に至ります。
なかにはFIVに感染しても急性期のみられない猫や、無症候期のまま健康な生涯を送ることができる猫もいますが、ひとたびARC期に入ってしまうと有効な治療法はなく、徐々にあるいは急激に病気が進行し、死に至ります。
FIVは感染力が強くないので、感染した猫との接触を避けることで予防できます。
つまり、検査でFIVに感染していないことを確かめた猫を室内飼育することで、FIVの脅威から逃れることができるのです。
何らかの理由でこれができない場合には、ワクチン接種をおすすめします。感染する可能性のある猫には積極的にワクチンを接種することが望ましいと考えられます。
FIVに感染してしまった場合は、他の猫に感染を広げないように注意する以外は、感染していない猫と同様に世話をするとよいでしょう。
ただし、なるべく免疫力を落とさないように、他の感染症にも注意しなくてはいけません。他の疾病による消耗は免疫力の低下につながり、発症の危険性を高める可能性があるからです。
この意味でFIV感染猫の無症候期には、健康な猫にも増して他の疾病のワクチン(フェリバック3およびフェリバックL-3)を接種することが望まれます。万が一猫エイズを発症してしまった場合には対症療法を行ないます。
免疫力が低下して起こる口内炎や潰瘍に対してはインターフェロン製剤が有効な場合があります。猫に健康な生涯を送らせてあげるために、完全室内飼育を、それが難しい場合はワクチン接種を強くおすすめします。
猫伝染性腹膜炎
猫伝染性腹膜炎は、根本的な治療がなく、致死的な感染症です。しかも、予防薬であるワクチンがありません。
海外ではワクチンが販売されていますが、その効果は十分なものではないという見解があります。
猫が伝染性腹膜炎を発症すると、はじめに発熱、食欲不振、元気がなくなるなどの症状が現れます。さらに病状が進行すると、お腹や胸に液体が溜まったり(ウエットタイプ)、肝臓や腎臓などの臓器に肉芽腫を生じたりします(ドライタイプ)。
ウエットタイプ、ドライタイプの両方の症状を示すこともあり、最終的に多数の臓器や神経が不調となり、死に至ります。
猫伝染性腹膜炎は猫伝染性腹膜炎ウイルス(FIPV)という猫コロナウイルス※の一種が原因です。ひところ話題になったSARS(重症急性呼吸器症候群)ウイルスもこのウイルスの仲間です。
これまでお話してきた猫の感染症は、元々病原性を持ったウイルスが猫に感染して病気を引き起こすというものでした。ところが、FIPVの場合はいささか趣が異なります。
最近の有力な説によると、病気を起こす力が弱く、感染してもほとんど症状を示さないか、まれにお腹をこわす程度の症状しか示さない猫コロナウイルス※(FCoV)が猫の体内で変異してFIPVとなり、猫伝染性腹膜炎を発症させるというのです。
たいていの感染症では、初めから悪役面した人が犯人なので、分かりやすいのですが、猫伝染性腹膜炎の場合、ごくまじめな普通の人がいつの間にか凶悪犯になっているので、やっかいです。
※犬や猫に感染する犬コロナウイルス、猫コロナウイルスは犬猫特有のものです。ヒトの間で感染し被害が広がっている2019 n-CoV 新型コロナウイルスとは異なるウイルスです。
FCoVは猫同士が触れ合うことで容易に感染するため、多くの猫はすでにFCoVに感染しています。そのような猫は何かの拍子に猫伝染性腹膜炎を発症する可能性をもっています。
ただし、FCoVに感染していても猫伝染性腹膜炎にまで発展するケースは稀ですので、いたずらに怖がる必要はありません。
FCoVがFIPVに変異する理由はよくわかっていませんが、ストレスを理由に挙げる獣医さんがいます。確かにストレスは免疫力を低下させますので、変異の理由の一端かもしれません。気ままに暮らしているように見えても、猫は猫なりにストレスを感じているのでしょう。
通常の検査方法ではFCoVとFIPVを区別することができず、猫伝染性腹膜炎の診断は困難です。臨床症状や血液性状などのさまざまな状況証拠から推定するしかありません。
また、決定的な治療法が確立されていないことから、猫伝染性腹膜炎を発症してしまったら、症状に応じて、抗生剤、副腎皮質ホルモン製剤(コルチコステロイド)やインターフェロン製剤などで延命を図るしか対処法がないのが実情です。
冒頭で猫伝染性腹膜炎のワクチンはないと述べましたが、それは次のような理由からワクチン開発が非常に難しいからです。ふつう猫にワクチンを接種すると、体の中に感染症に対する防御の仕組み(中和抗体)が出来上がり、感染症を予防できるようになります。
しかし、猫伝染性腹膜炎の原因ウイルスであるFIPVは、猫に防御の仕組みが出来上がっていると、それを逆手にとって細胞への感染を強め、かえって症状を悪化させてしまうのです。
もちろんワクチンメーカーとしても手をこまねいているわけではありません。さまざまな手法を駆使して、このFIPVの感染増強を回避するワクチンを開発し、猫伝染性腹膜炎から猫を守ろうと努力を続けていますが、実用化にはまだ時間がかかりそうです。
おわりに
日本獣医内科学アカデミー2009年大会の調査報告によると、猫の飼養環境の変化につれて感染症の流行も様変わりしているようです。
猫伝染性呼吸器症候群(猫ヘルペスウイルス+猫カリシウイルス)が常に猫の感染症発生率の首位(全感染症の約70%)であることは変わりありませんが、猫汎白血球減少症(猫パルボウイルス)は1994年の7.5%から2007年には1%に激減し、発生率がほぼ横ばいの猫免疫不全ウイルス感染症(8%)や猫白血病ウイルス感染症(7%)よりも稀な感染症になったということです。
この間の猫の室内飼育が30%から60%へ増加していることから、野外で感染することが多い猫汎白血球減少症が減少したと思われます。
本稿をこれまで読んでいただければ、多くの猫の感染症はワクチンで予防できることがご理解いただけたと思います。
獣医さんの指示にしたがって毎年のワクチン接種を忘れなければ、感染症は決して怖くありません。
これまでお付き合いしていただいた皆様の猫との快適な生活をお祈りしつつ、ひとまず筆を置きたいと思います。ありがとうございました。